叶えられなかった祈りより、叶えられた祈りのうえにより多くの涙が流される。

トルーマン・カポーティの『叶えられた祈り』を読み終える。

『冷血』で大ベストセラーを残し、同時にルポルタージュ小説の始祖を築いたカポーティの
その遺作にして、社交界におけるカポーティの名を地に堕としたといわれる、未完の問題作。

読了後の感想は、まず意味がわからない。当時のセレブリティな社交界の
セックス事情を暴露した小説なので、固有名詞ばかりで当時の様相が
わからないと意味がわからない。

しかしながら、本のタイトルとなっている
叶えられなかった祈りより、叶えられた祈りのうえにより多くの涙が流される。
という聖テレサの言葉が意味深いと感じる。

カポーティはこの『叶えられた祈り』という作品で、社交界から捨てられる。
間違いなく失敗作であるし、カポーティ自身の作家人生がここで潰えてしまっている。

壮大な過ちを犯したわけだが、『冷血』で描いた古き良きアメリカの暗部と
『叶えられた祈り』で描いたセレブリティの変態セックス社交界とは
同じアメリカの隠れた事実を描いたという点では
同じベクトルだったんじゃないかと思う。

『冷血』で明らかにしたのは、ペリー・スミスという死刑囚の人生であり
『叶えられた祈り』で明らかにしたのは、カポーティが仲良くしていた金持ち連中の性生活。

そのどちらも事実を描いたに過ぎないが
『冷血』の対象者は、法によって葬り去られて
『叶えられた祈り』の対象者は、カポーティ自身を社会的に葬り去ったわけである。

トルーマン・カポーティ 『冷血』 〜やがて悲しき熱帯〜


人事考課面談をしていて思うこと

人事考課というのはすごく重たい話であって
自分が出した評価によって、その人の給与が決定してしまうので
それを考えると、誰をどうこうするのが気が重い。

一覧表にして個人別の売上高を計算したり、勤務態度や顧客評価を
参考にすると、ある程度は査定が出てくるのだけれども
一人一人と直接会って話をしてみると、その誰もが数値にはあらわれない
良いところが見えてくるので、正直全員を評価したいという
気持ちになる。

例えそれがダメ人間で評価に全く値しないと思っていたとしても
やはり自分の判断によって、その人の生活にまで影響することを考えると
一概に切り捨ててしまうのも、無慈悲なことだと思ってしまう。


去年の人事考課では、部署を任されて間もない頃だったので
それをどうするか自分の中で消化しきれず、会計処理的に
査定をしていった。考えてもベターな結論すら出てこなかったから。

それから1年が経過しようとして、期末にはまた人事考課を
しなければならないのだけれども、今回は人事考課査定の根拠となる
データをじぶんのなかできちんと作ってきたにも関わらず
やはり個人個人と話してみると、そういう基準がゆらいでくるのを
感じる。

誰かの評価をあげたければ、誰かの評価をさげなければならないし
さげればその人の生活にも影響していくので、人を預かるというのは
本当にむずかしい。


僕の事業はひとり事業部なので人のことは何も考えなくていいので楽だが
もうひとつの、人がいっぱいいる事業部を兼任しているので、そちらは
きちんと管理して評価しなければならない。

そうなのに、他の人の面倒を充分に見ているかと言ったら、
自分の事業のことが手一杯なので、必ずしもそうではない。

そうでもないのに、人の評価をしようとしているのは
よくよく考えてみるとよくない話である。

不景気なときにこういう役職についてよかったかもしれない。
景気がいいときだと、誰も言いたい放題になるから
もっとめんどうなことになっていただろう。

30歳になって読む『キャッチャー・イン・ザ・ライ』

僕の父親は小説を読まない。
新聞は朝夕と二誌読み、実用書や自動車の本はよく読むので
文章量はあるほうだろうが、小説を読んでいる姿を見たことがない。

そんな父親から、読めと進められた本が2冊だけあって
1冊が、J・D・サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』
もう1冊が、ネビル・シュートの『渚にて』だった。



そのどちらも僕は冒頭だけ読んで読み終えていなかった。

すすめられたのは中学生の時。
それから15年くらい経過し、いい大人になり
村上春樹が訳した『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を少し前に買った。
僕の好きな『攻殻機動隊』にこの本が引用されていたので
ちょっと読んでみたくなったのだが、やはり冒頭を読んで放置していた。

父親にすすめられた本というのは、どうにも読みづらいのである。

それからしばらくたって、何気なく『キャッチャー・イン・ザ・ライ』の
続きを読みはじめ、中学生の時に進められてから、15年近くたって
ようやく読み終えることができた。

きっかけは、『攻殻機動隊』に出てくる笑い男の台詞
「僕は耳と目を閉じ、口を噤んだ人間になろうと考えたんだ」

が、どこに出てくるか気になったことで、そのフレーズを待っているうちに
最後まで読み切ることができた。

読み終えた感想としては、ホールデン少年の物語を読むには
どうやら15年ほど遅すぎたという印象と

それから中学生の敏感な時期に、父親はなにを思ってこの本を
僕に貸したのだろうかという疑問。

それから父親はこの本を読んでいたのだろうかという疑問。


ホールデン・コールフィールド少年の
なにをどうしたらいいのかわからない魂の慟哭は
30歳を迎えた今の自分にとって、どこか生暖かい目で
見てしまわざるを得ない、まさに「そういう時期が僕にもありました」
となってしまい共感とはほど遠い。遅すぎたのである。

そして、ホールデン少年がその意味すら理解できなかった
うんちくに満ちた先生の説教が、まさにその通りと心に響く。悲しい。

 「なかんずく君は発見することになるだろう。人間のなす様々な行為を目にして混乱し、怯え、あるいは吐き気さえもよおしたのは、君一人ではないんだということをね。そういう思いを味わったのは、何も君だけじゃないんだ。
 その事実を知ることによって、君は興奮し、心をかき立てられるはずだ。とても、とても多くの人々が、今君が経験しているのとちょうど同じように、道義的にまた精神的に思い悩んできた。ありがたいことに、彼らのうちのあるものはそういう悩みについての記録をしっかりと残しているんだ。君はそういう人々から学ぶことができる。
 ------もし君が望めばということだけどね。同じように、もし君に提供すべき何かができたなら、誰かがいつの日か君からその何かを学ぶことになるだろう。それは美しくも互恵的な仕組みなんだよ。それは教育みたいなことにとどまらない。それは歴史であり、詩なんだ。」


この言葉がわからない中学生の時期に、この本を読んでいたら
この言葉をホールデン少年と同じようにスルーしていただろう。
まるで、父親の説教を僕がスルーしていたのと同じように。

この先生の言葉がわかるようになるのは
ちょうど父親と同じような年になってからだろう。

そして、もし仮に父親がサリンジャーのこの本を読んでいたとしたら
何を言いたかったのか、今になってなんとなくわかる気がした。

僕たちには子供がまだいないが
もし仮に男の子がいて中学生くらいになったとしたら
この本を貸すかもしれないが
読んでも読まなくてもどちらでもいいと言うだろう。

なんとなくそんな気がする。



戦争とテロと人間の悲しい業

ノーム・チョムスキーやエドワード・サイードの書籍を読んで
パレスチナ問題, アフガン紛争, 911とそれに続くイラク戦争など
植民地問題について理解が深まり、人類の業についてぼんやりと
考えていて

何年か前にマイケル・ムーアが撮った911の映画を観にいった覚えがあり
それをあらためて観てみようと思った。

公開当時に観た印象では、ジョージ・ブッシュはアホだという印象しか
なかったのだが、あらためて観てみると

 ・マイケル・ムーアはブッシュとそのとりまきを絶対悪とみなしている
 ・ただし911テロを行った中東文明も、議論の余地なく悪とみなしている

ことに気付く。ここに違和感を感じた。


戦争とは、互いの文明の主義信条と信仰と利害の衝突によって起こる
外交の延長にある出来事なので、悪を探すのは困難である。
敗戦国は悪ではなく、文明衝突の敗者だから。

しかし、テロに関しては外交の延長になく、むしろ極大化した犯罪であるゆえに
そこに悪を見出すのはたやすい。計画して実行した者達が悪なのだ。

テロは組織と個人が行った犯罪であって、法の下に裁いて言語化すべきであり
それが911のような大規模な虐殺であったとしても、極大化した犯罪に過ぎない。

ただし、911のような大規模なテロは、個人の犯罪に押し留まらずに
文明に対する全面的な否定につながり、結果イラク戦争やアフガン戦争という
かたちに展開していった。それを戦争ビジネスと混ぜ合わせて
全力で推し進めたのがブッシュ政権といえるだろう。

組織や個人の犯罪を、極大化して文明の否定につなげ
文明や民族全体を指して「悪の枢軸」とみなしたのである。


僕はサイードやチョムスキーの本はとてもおもしろく重厚な内容だと
思ったが、米国やイスラエルが行っている民族虐殺というテロ行為がなくなり
仮にパレスチナ人が自分たちの土地を取り戻したとしても
そこでもまた、民族や文明の否定が繰り返されると思う。

文明は他の文明を否定して同化させようとする傾向にある。
人類はそうして、文化と技術を進化させて、文明を展開してきた。

虐殺と教化を繰り返しながら、人類の歴史は続いていくのだろうと
薄ボンヤリと考えるのである。

蕎麦打ち教室から見えてきた、夜の生活の話

蕎麦屋の旦那がそば打ち教室を開いているというので
ひとつ蕎麦を打ちに行ってきた。

僕は蕎麦が大好きなので、自分で打った蕎麦を一度食べてみたいと
思っていた。

蕎麦を打つのは意外に体力がいり、特に普段使っていない
腰の下の方の筋肉が必要で、蕎麦をこねる過程では
思いの他の重労働でキリキリ舞したものである。

蕎麦を打っていると気づいたこと。それは手料理をする過程において
性生活におけるセックスの様相が垣間見える点である。

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料理の様子はセックスの様子と似ている

料理というのは不思議なもので、材料の扱いや切り方
肉や野菜の切り方から、煮方焼き方茹で方から
お皿へのもりつけ、食器の出し方片付け方まで
その人の食材や食器の扱いを通して
普段どんな具合にセックスをしているのかが
薄ぼんやりと見えてくるのである。

今回の蕎麦打ち教室では、僕たち意外に
 ・若夫婦一組
 ・よくわからないが舞い上がっているおばちゃん
 ・蕎麦のうんちくをたれている中年小太りのオタク
がいた。

友人の蕎麦の打ち方と夜の生活

例えば僕と一緒にいった友人(男)は、そば粉をこねる際は
力強くガシガシとこねる反面、蕎麦を蕎麦包丁で切る際は
トントントンと小刻みにリズミカルに反復運動をするものである。

あぁ彼は僕の知っている●●ちゃんとこのやうにして
セックスをしていたのかと想像してみる。
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若夫婦の蕎麦の打ち方と夜の生活

また例えば、隣の若夫婦は旦那のほうが
とにかく速くて雑。そば粉をこねるのも速ければ
打ってのばすのも速いがそのどれもが雑であり
均一なペースと形が保てていない。

がたいがいいので、野性的なセックスといえば、そうであろうが
隣の若妻にエクスタシーを提供できているのであろうかと
少し心配になる。

一方、若妻の蕎麦の打ち方は、特に印象に残っていないので
まぁそういうものであろうか。盛り上がりもなく特筆すべき
なにかもなかったので、旦那の粗雑なセックスで十分満足なので
あろうか。性に満足しているということはそれで良いことだと思う。
相性が良いのが一番だから。

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中年小太りオタクの蕎麦の打ち方と夜の生活

また例えば蕎麦のうんちくをたれている
中年小太りオタクはというと

蕎麦打ち開始当初からパニクっているおばちゃんが
何を思ったか自分のそば粉だけでなく、小太りオタクのそば粉まで
袋を開けて使ってしまったので、そば粉がなくなり茫然自失としている。

おばちゃんに寝取られているなんて、どんな寝取られ属性だよ。

この蕎麦うち教室は、ふたり一組で実施するのである。
作業するのは1人だが、やれ水の分量はどうだとか
次はどうこねるのかとか、相談しながら進めるのである。

小太り中年オタクは、パニックおばちゃんとペアで打つのだが
まったく息があっていない。

おまけに小太り中年の蕎麦の打ち方は汚い。
蕎麦の知識ばかり先行して、相手と協力して蕎麦を打つことが
できていない。

まるで素人童貞みたいな感じだったのだが
そば粉に紛れた左手の薬指には、鈍く光る銀色の指輪が
はまっていたので、日曜の昼間にひとり蕎麦打ちにくる
中年男の心境と、奥方の夜の生活に対して心中お察しするのである。

パニックおばちゃんについては何も言いますまい。
蕎麦打ちが始まる前から終始パニックで
他人のそば粉を使ってしまうわ始終他の人の蕎麦打ち台をのぞきにくるわで
他のところは気になるけど、自分のとこは何も見えていないといった状態で
まぁそういう感じなんだろう。

僕の蕎麦の打ち方と夜の生活

ちなみに僕はというと
蕎麦をこねる過程で、渦巻き状にこねるところで
どうしたらいいかわからなくなり、蕎麦屋の旦那に手伝ってもらった。
蕎麦屋の旦那の揉み方が力強くなめらかで
どんだけ上手におっぱい揉むんだこの人はと、関心しながら
代わりに揉んでもらっていた。

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おいしいビールとおいしい蕎麦で愉快な夕暮れ

そういうわけで、蕎麦打ちが終わると
蕎麦屋の旦那がうってくれた蕎麦をたぐりながら
みんなでビールをごちそうになって談笑した。

小太り中年オタクが、さもしたり顔でうんちくたれているのを
見てイラりとしたものだが、彼の夜の生活を思うと
不憫でならなかった。

そうして僕たち二人は、自分でうった蕎麦を半分づつ
互いに交換して、友人を集めて蕎麦パーティを開き
放埒な夏の夜を迎えた。
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不況に強いビジネスを追い続けてきたら

ひとり事業部でやっていたビジネスがここ半年好調で
ようやく自分の人件費の4倍から7倍くらいまでの売上を
出せるようになってきた。

一人月あたりの売上高としては、エンジニア数人分の
雇用を確保できるくらいになった。ここまでくるのに
寄り道含めて4年かかっているが。

特定顧客がついて、仕事を納めれば感謝のお礼をしてもらえて
次の仕事につながっていく。

会社名ではなく個人名で、仕事の受注ができるようになってきて
ようやく「自分のアイデアと商材で市場からお金をとってくる」
ことができるようになった。

会社が出してくれている事務所の経費やなにやらまでを
売上でカバーするにはまだ至らないのが残念。

技術者派遣に頼らずに、純粋な商取引でもって
自分の人件費を確保するのがいかに大変か実感した半年だった。

今期の売上目標は上期でクリアできたので
次の目標は「自分のビジネスで1名分の常用雇用を確保すること」

こういう不況下だからこそ、雇用を産み出し確保するのが
市場にとって一番大切なことだと思う。

グレンフィディック12年 〜夏にぴったりのスコッチウィスキー〜

ウィスキーは臭ければ臭いほど好きなので
瓶の色が緑がかっていていかにも臭そうなグレンフィディックを買ってみた。

買ったのはグレンフィディック12年 スペシャルリザーブ
販売元のサントリーのWebサイトには700ml・40度・6,000円と書いてあるが
近所の酒屋で買った価格は特売価格で2,300円だった。

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丸い筒の箱に入っていたので気付かなかったが
瓶の形が三角形っぽくて、縦に長いのが特徴である。

開封したばかりのウィスキーは、まずストレートで飲むことにしているので
グラスに注いでみると、薄い小麦色か黄金色をしている。

口の中に含んでみると、そこまで刺激臭が感じない。
このままストレートで飲んでもよいのではとすら思う。

臭いウィスキーを飲もうと思ってグレンフィディックを買ったのだが
これは意外な味にあたったものである。

僕はソーダで割ったハイボールが大好きなので、さっそくカナダドライで
シュワワと割って飲んでみる。

グレンフィディックはハイボールにしてみると、味がビールのように
すっきりとする。ストレートで飲んだときとに感じた爽やかな飲みやすさが
それだと思うが、ウィスキーっぽくないところがある。

世界で一番売れているシングルモルトウィスキーとのことだが
確かにこれはビールみたいでとても飲みやすいし、すっきりする。

夏に飲むウィスキーとしてはちょうどよいのではないだろうか。

僕はハイボールにいつもレモンを加えて飲んでいるのだけれど
グレンフィディックをハイボールにしてレモンを加えるのであれば
もともとがすっきりした味なので、少なめにレモンをいれたほうがよいと思う。

女性とバーにいった時に、ウィスキーをすすめるのであれば
グレンフィディックのソーダ割などが最初は飲みやすくておすすめかと思う。

サントリー グレンフィディック

横須賀市のたたら浜海岸 海水浴

横須賀市のたたら浜海岸(多々羅浜)に泳ぎに行く。
たたら浜海岸は1954年 ゴジラが日本本土に初上陸した浜。

灯台で有名な観音崎海岸のさらに奥にある小さい浜で
市外からの海水浴客があまりこないため、のんびりできる海岸である。
その代わり海の家もコンビニもないので、少し不便ではあるが。

入り江に近いこじんまりとした海岸のため、海水浴と潮干狩りしか
できないが、水はきれいで浮き輪でプカプカ浮く分には良い海岸だ。

たたら浜海岸


たたら浜は子供連れの家族がほとんどで、カップルの海水浴客は数組程度。
子供のいない我らは、ビーチパラソルと椅子を並べて海に浮いているだけだが
子連れ家族の群れではなんとなく浮いている感じがする。

知らない家の乳飲み子が、波に向かってひたすら砂泥を投げている。
いくら砂泥を海に投げ返したところで、よせ返す波が彼の砂泥を
また浜に戻してしまうと言うのに。まさに賽の河原とはこのことである。

隣の家族は、僕たちが浜に来た12時くらいから帰るくらいの15時くらいまで
家族ぐるみでひたすら穴を掘り続けている。
なぜ人は、砂浜に来ると下に向かって穴を掘るのだろうか。
満潮になれば彼らが掘った穴は水と砂に埋もれるというのに
これもまた賽の河原のごとき無間地獄である。

たたら浜海岸


そうこうするうちに、僕の立てたビーチパラソルが風で吹き飛ばされ
隣の家族のテントに落下する。

ポールがちゃんと砂に突き刺さっていないのかしらと
砂に穴を掘るがいっこうに深くならない。どんどんと穴を掘り進め
ポールをさして穴を埋めるが、やはり下からの風には弱い。

まわりの家族がまたパラソルが飛んでくるのではないかと
気が気でない視線を送ってくる。待っておれこの塹壕が掘り終われば
さらに土嚢を築いて民の心を安心させてくれようぞ。

ポールのまわりをひたすら砂で埋め続けると、小さな小山のようになって
砂の重みでポールが固定されるのである。

これで安心と海で泳ぐことにするが、見張りがいないと
風でパラソルが飛んでしまうので、ポールだけ刺してパラソルを外しておく。
そうしてみるともはやこの小山に刺さったポールが何のために
存在しているのかすらわからない。

波にぷかりと浮きながら
我らの区画を遠くから眺めると、スイカ大の盛り土の上に
一本のポールが突き刺ささり異形の姿を成している。
ポールがもう一本刺さっていれば、プルートゥの犯行現場だと思われかねない。

そうするうちに、日が暮れてきたので荷物を片付けて帰ることにした。

人はなぜ砂浜に来ると無意味に穴を掘るのかと疑問に思ったが
自分はポールを立てるため、あるいは他の人はそこに人を埋めるため。

それぞれ意味を見いだせたので帰路についた。

心地よい疲れと日焼けが残る一日だった。

たたら浜海岸 三浦半島ポータルサイト
ビーチパラソルの立て方 (教えてgoo)

IT業界における企業内失業の実態

企業内失業600万人と日経新聞に書いてあったが
IT業界でも、開発案件がなくて自社で待機(仕事がないので席に座って自習)か
自宅待機(雇用はされているが最大40%の賃金カットで自宅警備員)が増えている。

景気が冷え込んだ影響で設備投資が減り、ITへの投資が減ったことが原因だが
自社や他社の待機者(企業内失業者)をみていると
「受注がないので一時的に待機している技術者」と
「市場価値が潰えてしまっている技術者」の二種類に
はっきりとわかれていることに気づく。

後者の「市場価値が潰えてしまっている技術者」にとっては
金融危機が招いた今回の不況は、市場からNOと言われる時期を早めたに過ぎず
その宣告が何年か前倒しで告げられたにすぎないと感じる。

「市場価値が潰えてしまっている技術」とは具体的には
年齢と経験年数に対して
組織や集団における一定の役割を果たしてこなかった技術者のことであり
人に言われた通りにしか、成果物を作り出すことができない技術者で
その分水嶺は30歳を境に如実にあらわれる。

「ものつくり」とか「手に職をつける」とか聞こえはいいが
IT業界の70%は下請けであって、市場に売れる商品を企画して
売っているのは発注元のお客さんである。

技術者本人が市場価値を産みだしているかというとそうではなくて
単に労働力を提供しているに過ぎない。

開発案件に対して順番待ちをして並んでいるだけであって
若くて優秀でコストの低い誰かに簡単にクビをすげかえられるリスクが
常につきまとうにも関わらず、市場競争をしている意識が希薄である。

だからこそ、発注者である顧客と一緒になって
市場価値のある商品をつくりあげる技術者が求められているのだが
みんながみんなそういう気持ちで働いているわけではなく
「自分のスキルのため」とか「キャリアパスのため」とか
これまた転職業界が作り上げた造語とイメージに踊らされて
利己的な意識のまま年を重ねているのである。

「技術者」「エンジニア」なんて言葉はただの形容を表した単語であって
その本質はただの「サラリーマン」なのだ。もちろん、今や絶滅寸前の
個人事業主もいるがそれであっても営業は、紹介元の会社にアウトソース
している点では半ばサラリーマンではないかと思う。

市場価値が潰えてしまっている彼らは、おしなべてサラリーマンとしての
意識が低く、悲しいほどに社会人として、ビジネスマンとしての能力が低い。

平たく言えばコミュニケーション性が希薄だということになるが
かといって、一匹狼でアウトローにバリバリ仕事ができるというわけでもない。

凡庸な人間同士が集まって、なにかしようと動く姿を、嘲笑気味に
遠巻きに眺めるが、本人は、人と繋がることすらできないくらいに弱く
そして悲しいくらいに勉強の仕方を知らない。

そんな彼や彼女らを一言で表すと「弱き者」になってしまう。


企業内失業者がひとまとまりと言っても団結したわけではない
 やがて、右往左往している人々が、ひとまとまりにされる。そして、数少ない仕事がその人たちの何人かに割り当てられる。まるで、収容所の配給といった感じ。運良くその中にはいないけど、明日は我が身かも。

 それにしても、集まっている人々の大半の人は、自分の将来を会社に預けるつもりのだろうか?それとも、なんらかの責任をとってほしいと思っているのだろうか。いったい、どうするつもりだろう。
  〜企業内失業者の行方〜 From 転職日記


どうするつもりなのか僕にはわからない。
ただ「なんらかの責任を会社にとってもらいたがっている」気がするし
また、自分の将来をどこの誰に預けたらいいのかわからずに
嵐が過ぎるのをただ待っているのだと思う。

嵐が過ぎ去るのに何年かかかるだろうし、もとの状態には決して戻らないだろう。
仮に嵐が過ぎ去り陽の光が差したとしても
その光は彼や彼女らにはあたることはない。

そうなって気づくだろう事は、嵐が過ぎ去った後の
増えた水かさによって、今まで自分が立ってこれた場所
競争をしなくても良い場所はとっくに水の中に沈んでしまっていて
このフィールドで自分が立って生きていける場所など
どこにもなくなっているということだ。

そうなったとしても、会社は責任なんてとるわけがない。
結局、自分の将来は自分にしか預け先がないのだ。

自分の腕と足で、自分の市場価値を開拓していかない限り
彼や彼女らの先にあるのは、近い将来における
「廃業」という終着地点だけだろう。

動作が速くて使いやすいGoogleChrome

FireFoxの動作が異常に重たくて、業務に支障をきたすようになってきたので
GoogleChromeに替えてみた。動作が速くてWebページの遷移もスムーズ。

現段階で以下の機能がGoogleChromeにないのでちょっと困っている。
 ・GoogleBookMarkのツールバーがほしい
 ・RSSの更新状態を確認できるサイドバーがほしい
 ・印刷プレビュー機能がほしい

上記機能がGoogleChromeにないので
いまのところはGoogleChromeとFireFoxを併用している状態。

業務で使うのに印刷プレビューが使えないのは少し不便であるが
それを差し置いてもブラウジングが快適なのは素晴らしい。

Google Chrome無料ダウンロード

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