Nintendo DS Phone
Nintendo DS Phoneってのがあったら、売れるだろうなぁ。
DSのあの本体をパカッと開けると
iPhoneみたいにタッチパネルで電話かけられて
メールが送信できるようになれば最高じゃないか。
いつでもどこでもネットでゲームプレイができるし
カメラなんかついていたら、DSPhoneユーザ同士で
写真の共有なんかできるだろうか。
DSのあの本体をパカッと開けると
iPhoneみたいにタッチパネルで電話かけられて
メールが送信できるようになれば最高じゃないか。
いつでもどこでもネットでゲームプレイができるし
カメラなんかついていたら、DSPhoneユーザ同士で
写真の共有なんかできるだろうか。
ビジネスの基本は「需要に供給を与えること」
新規事業というのを始めて、2年半が経とうとしているけど
この、「需要に供給をあたえること」ということが
いかに難しくて、そしていかに本質であるかを
ようやく体で実感するようになってきた。
この2年間いろんなことをやってきた。
事業計画書を書いたり、収支計画書を何十パターンも書いたり
社内プレゼンをして落選したり、採用されたり。
机一つから新規事業をはじめて、業者を回ったり
事務所を借りに不動産屋をまわったりした。
運営スタッフを集めたり、若年層の正社員を何十人も雇用したし
雇用もすれば解雇もしたし、ひきとめもしたり逃げられたりもした。
広告もたくさん打ったし、広告屋のライターの代りに原稿書いたし
とんでもない数の若者と、ひとりひとり面接もした。
事業が赤字になったり、事業を停止したりもした。
講師もやったし、メンタルフォローもやったし
企画も営業もやった。
やってみて、本当にはじめて
「頭ではなく体験として理解できた」ことが
たくさんあった。
これはビジネス書や新書とか、セミナーや人の話を聞くだけでは
決してわからなかったことだ。
いままで、それはたくさんのビジネス書の類を読んできたから
余計にわかる。やってみないと結局、経験として理解できない。
ビジネス書に書いてあることは、確かに真実を語ってはいるが
それを行動に移して体験してこそ意味がある。
「読んだ」というのは行動ではないのだ。
事業責任者やスタッフが、何もかも放り出してバックれて初めて
人件費の重さや、人を雇う時のリスクがわかった。
こうされなければ絶対にわからなかっただろう。
自分で営業してはじめて、自分の給料分を稼ぐ仕事をとってくることが
いかに大変か身にしみてわかった。
技術者やって、業界がつくったキャリアパスに従って生きていたら
きっとずっとわからなかっただろう。
いま、自分のやっているサービスを、正直に市場に問いただしても
やっていることへの評価はあっても、結果的にお金が動かない。
それは「売れる/売れない」の問題ではなく
単純に「需要に供給を与えていないから」だと気づいた。
これも、自分で考えて運営しているサービスを
自分で営業して、売れたり売れなかったりを、体験して初めて気づいたことだ。
誰かに営業してもらったり、紹介してもらっていたら
絶対にわからなかっただろう。
直接お客と会って話して、お金を出してくれる決裁権のある人を
説得したりそっぽ向かれたりして初めて気づいたことだ。
ここに至って「需要に供給を満たす」という
本当に単純で、それでいてビジネスの本質をあらわす事柄が
いかに王道であるかを、頭ではなく心で理解できたことを
きちんと書いておこうと思った。
明日や1年後や5年後、10年後がどうあれ
こういうことがわかったことは本当に貴重な体験だった。
この、「需要に供給をあたえること」ということが
いかに難しくて、そしていかに本質であるかを
ようやく体で実感するようになってきた。
この2年間いろんなことをやってきた。
事業計画書を書いたり、収支計画書を何十パターンも書いたり
社内プレゼンをして落選したり、採用されたり。
机一つから新規事業をはじめて、業者を回ったり
事務所を借りに不動産屋をまわったりした。
運営スタッフを集めたり、若年層の正社員を何十人も雇用したし
雇用もすれば解雇もしたし、ひきとめもしたり逃げられたりもした。
広告もたくさん打ったし、広告屋のライターの代りに原稿書いたし
とんでもない数の若者と、ひとりひとり面接もした。
事業が赤字になったり、事業を停止したりもした。
講師もやったし、メンタルフォローもやったし
企画も営業もやった。
やってみて、本当にはじめて
「頭ではなく体験として理解できた」ことが
たくさんあった。
これはビジネス書や新書とか、セミナーや人の話を聞くだけでは
決してわからなかったことだ。
いままで、それはたくさんのビジネス書の類を読んできたから
余計にわかる。やってみないと結局、経験として理解できない。
ビジネス書に書いてあることは、確かに真実を語ってはいるが
それを行動に移して体験してこそ意味がある。
「読んだ」というのは行動ではないのだ。
事業責任者やスタッフが、何もかも放り出してバックれて初めて
人件費の重さや、人を雇う時のリスクがわかった。
こうされなければ絶対にわからなかっただろう。
自分で営業してはじめて、自分の給料分を稼ぐ仕事をとってくることが
いかに大変か身にしみてわかった。
技術者やって、業界がつくったキャリアパスに従って生きていたら
きっとずっとわからなかっただろう。
いま、自分のやっているサービスを、正直に市場に問いただしても
やっていることへの評価はあっても、結果的にお金が動かない。
それは「売れる/売れない」の問題ではなく
単純に「需要に供給を与えていないから」だと気づいた。
これも、自分で考えて運営しているサービスを
自分で営業して、売れたり売れなかったりを、体験して初めて気づいたことだ。
誰かに営業してもらったり、紹介してもらっていたら
絶対にわからなかっただろう。
直接お客と会って話して、お金を出してくれる決裁権のある人を
説得したりそっぽ向かれたりして初めて気づいたことだ。
ここに至って「需要に供給を満たす」という
本当に単純で、それでいてビジネスの本質をあらわす事柄が
いかに王道であるかを、頭ではなく心で理解できたことを
きちんと書いておこうと思った。
明日や1年後や5年後、10年後がどうあれ
こういうことがわかったことは本当に貴重な体験だった。
深大寺蕎麦と神代植物園
深大寺は、門前蕎麦で有名なお寺で
夏のこのひどい暑い中、湧き水がきれいで涼しげな深大寺で
おいしい蕎麦をたぐったら最高だと思いつき
深大寺蕎麦をたぐりに、武州多摩までやってきた。
4年ほど前に来たときは、蕎麦と酒を頂いて帰っただけなので
今回は、神代植物園も見学してきた。
植物園というので、温室みたいな施設にあるかと思ったが
入園したら巨大な公園だった。
気温は37度に達する真夏日。11時近くの太陽は頭の上をギンギン照らし
歩いているだけで体が痛い。
5秒に1人 老人が熱中症で死んでいるだろう。
つつじ園やしゃくなげ園は、季節ではないためか当然花は咲かせていないが
花どころか草木がこの暑さでへたれて、からからにしなびている。

池には睡蓮が浮いているが、見るからに水がぬるそうだ。
頭上の太陽は、ギンギンに頭を焼いてくる。
ムルソーの「それは太陽のせい」という台詞がゆだる頭に浮かんでくる。

公園の花は暑さで全滅しているかと思いきや、南国っぽい花は
元気に咲き誇っている。あじさいなんかもまだ咲いていたりするし。

神代植物園にはバラ園とバラの温室というのがあって、そこは1年中
バラの花が見れるらしい。

バラ園には、たくさんの野バラが咲いていて、この灼熱地獄さえなければ
とても居心地のよい庭だと思う。

バラの温室はかなり巨大である。とにかく暑くて死にそうなので
温室にかけこむ。

植物園の温室っていうと、たいていは熱帯の植物なんかが植わっていて
これは僕の好きなタビビトの木。

木の根元に水を含んでいるので旅人が重宝したらしい。

ここの温室はけっこうな数の花が咲いていて、熱帯のきれいな花が多かった。

バラの温室は、バラだらけ。すごい数のバラの花が植わっている。
まるでルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』に出てくる
ハートの女王のバラの庭みたいだ。


バラの庭。思わず「首をおはね!!」とハートの女王の口まねをしたくなる。


瓶に入ったバラの花が特にきれいだった。すばらしい。
ついでに、頭に花がさいている人造人間をみつける。
『多重人格探偵サイコ』にでてくるフラワーエンジェルを思い出す。




最後に、深大寺にいく。4年ぶり。すごい久しぶり。
湧き水で手を洗い、お参りをしてさっそく御利益を得る。

マイ朱印帳に深大寺のご朱印を書いてもらう。すごい御利益。
いまかなりいい仏に近づいた気がする。
深大寺は武州多摩。壬生寺のご朱印の隣に書いてもらったので、
新撰組だねこりゃと気をよくする。
御朱印を書いてもらって、徳が積まれたので
すっかり気をよくして、深大寺蕎麦でおいしいと噂の
「湧水」というお店で、天せいろをたぐる。
冷や酒がおいしい。すっかりいい気分になった。
いい仏に近づいた甲斐がある。

夏の日差しが暑くてたまらなかったけど、植物園ではいいバラがみれたし
御朱印ももらえて、蕎麦もお酒もおいしかったので、よい巡礼になった。
夏のこのひどい暑い中、湧き水がきれいで涼しげな深大寺で
おいしい蕎麦をたぐったら最高だと思いつき
深大寺蕎麦をたぐりに、武州多摩までやってきた。
4年ほど前に来たときは、蕎麦と酒を頂いて帰っただけなので
今回は、神代植物園も見学してきた。
植物園というので、温室みたいな施設にあるかと思ったが
入園したら巨大な公園だった。
気温は37度に達する真夏日。11時近くの太陽は頭の上をギンギン照らし
歩いているだけで体が痛い。
5秒に1人 老人が熱中症で死んでいるだろう。
つつじ園やしゃくなげ園は、季節ではないためか当然花は咲かせていないが
花どころか草木がこの暑さでへたれて、からからにしなびている。

池には睡蓮が浮いているが、見るからに水がぬるそうだ。
頭上の太陽は、ギンギンに頭を焼いてくる。
ムルソーの「それは太陽のせい」という台詞がゆだる頭に浮かんでくる。

公園の花は暑さで全滅しているかと思いきや、南国っぽい花は
元気に咲き誇っている。あじさいなんかもまだ咲いていたりするし。

神代植物園にはバラ園とバラの温室というのがあって、そこは1年中
バラの花が見れるらしい。

バラ園には、たくさんの野バラが咲いていて、この灼熱地獄さえなければ
とても居心地のよい庭だと思う。

バラの温室はかなり巨大である。とにかく暑くて死にそうなので
温室にかけこむ。

植物園の温室っていうと、たいていは熱帯の植物なんかが植わっていて
これは僕の好きなタビビトの木。

木の根元に水を含んでいるので旅人が重宝したらしい。

ここの温室はけっこうな数の花が咲いていて、熱帯のきれいな花が多かった。

バラの温室は、バラだらけ。すごい数のバラの花が植わっている。
まるでルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』に出てくる
ハートの女王のバラの庭みたいだ。


バラの庭。思わず「首をおはね!!」とハートの女王の口まねをしたくなる。


瓶に入ったバラの花が特にきれいだった。すばらしい。
ついでに、頭に花がさいている人造人間をみつける。
『多重人格探偵サイコ』にでてくるフラワーエンジェルを思い出す。




最後に、深大寺にいく。4年ぶり。すごい久しぶり。
湧き水で手を洗い、お参りをしてさっそく御利益を得る。

マイ朱印帳に深大寺のご朱印を書いてもらう。すごい御利益。
いまかなりいい仏に近づいた気がする。
深大寺は武州多摩。壬生寺のご朱印の隣に書いてもらったので、
新撰組だねこりゃと気をよくする。
御朱印を書いてもらって、徳が積まれたので
すっかり気をよくして、深大寺蕎麦でおいしいと噂の
「湧水」というお店で、天せいろをたぐる。
冷や酒がおいしい。すっかりいい気分になった。
いい仏に近づいた甲斐がある。

夏の日差しが暑くてたまらなかったけど、植物園ではいいバラがみれたし
御朱印ももらえて、蕎麦もお酒もおいしかったので、よい巡礼になった。
トルーマン・カポーティ 『冷血』
こういった「理由なき殺人」というのは、いつの時代も存在していて
なぜ無差別殺人に至ったかを本人に問うたところで
質問者が期待するような、怨恨や金銭や私利私欲といった理由は
返ってくるべくもない。
会計処理的に社会に説明されていくのみだろう。
カポーティが、殺人者2名と被害者4名、それから事件に関連する村人
すべてに、綿密なインタビューと調査をした結果、浮き彫りになったのは
殺人者2名の悲惨な生い立ちと、どん詰まりの救いがたい人生。
それから被害者4名の、期待と慈愛に満ちた人生だった。
殺人者のスミス曰く
言える気がする。
1950-60年代の古き良きアメリカ。
アメリカが世界で最も輝いていた時代の影で
救いがたい人生に対するルサンチマン的怨念の極みが
殺人者スミスの独白を通して、語られていく。
彼らが、金持ちや成功者になろうとして
もがけばもがくほど、金も成功も信用も
どんどん遠ざかっていく。
その焦りからか、彼らはどこまでも必死に
そして間違った方向で、金を稼ごうと画策し行動する。
その一環として、クラッター一家の強盗殺人があったのであり
同時にまるで強盗殺人などなかったかのように
その後も繰り返し、詐欺や窃盗などの犯罪を繰り返していく。
この「自由と成功とお金を求めて、前に進み続ける」
という、アメリカンドリームの体現方法を
完全に間違った方向に突き進み、自他含め奈落の底に落ちていったのが
クラッター一家惨殺事件であり、この「冷血」という作品が
描く奈落だと感じた。
ちょうど、この事件が発生した1959年というのは古き良きアメリカ時代の
終わりにさしかかる事件である。
この後アメリカは、下記の体験を経ていくことになる。
1961年にキューバ危機で世界大戦の恐怖に直面し
1963年にケネディ大統領が暗殺され
1964年にはジョンソン大統領がベトナム戦争を開始し
1965年には北爆と地上戦の拡大により、戦争は泥沼化し
1973年のパリ平和協定にいたるまで戦争は膠着化した。
事件のあった1959年を境に、アメリカは古き良き時代から
ベトナムという、暗い暗雲に満たされた時代へと移行していった。
スミスたちが追ったアメリカンドリームは
奈落の底に突っ走る行動の末、眼前に広がる絶望的な現実を前に
夢の終わりと、行き詰まった人生へと帰結した。
まるで、1960年を境にアメリカンドリームの終焉と
ベトナム戦争という奈落の底へ突っ走っていく
アメリカをあらわしているかのように。
スミスの現実はその結果
「今まで自分に冷たくしてきた世間に対する尻ぬぐい」として
善良で誰もがうらやむ成功者であるクラッター一家の惨殺へと
つながっていった。
そしてその惨殺事件すら、カタルシスでも人生の有終でもなく
何事もなかったかのように、絶望的な現実を彼らは走り続ける。
まるで「絞首刑」という奈落の底へ行き着くまで走り続けるのだ。
ここに、ベトナム戦争を終え、湾岸戦争を終え、911を超えて
イラク戦争をはじめて、なお奈落へと進むアメリカがかぶさってみえる。
カポーティの描いた『冷血』という作品は
ひとつに、無関係な善良な一家を躊躇することなく惨殺した犯人の「冷血」を描き
ふたつに、アメリカンドリームという幻想のもと、奈落の底を生きゆく者に
賭ければ賭けるほど奈落の底にいきつかせるような、無思慮な希望を与えたあげく
残酷な現実へと帰着させてしまう、時代の「冷血」を感じた。
そして、みっつ目は死刑囚の人生の深淵をえぐりだし
インタビューの継続のため、死刑の延長を望み
ベストセラーの誕生のため、死刑の実行を望んだ
カポーティ自身の「冷血」が感じられる。
カポーティ自身の「冷血」は映画『カポーティ』によく描かれていた。
なぜ無差別殺人に至ったかを本人に問うたところで
質問者が期待するような、怨恨や金銭や私利私欲といった理由は
返ってくるべくもない。
トルーマン・カポーティ 『冷血』 〜あらすじ〜つまるところ「精神病理の闇の奥」というくくりで
カンザス州の片田舎で起きた一家4人惨殺事件。被害者は皆ロープで縛られ、至近距離から散弾銃で射殺されていた。このあまりにも惨い犯行に、著者は5年余りの歳月を費やして綿密な取材を遂行。そして犯人2名が絞首刑に処せられるまでを見届けた。捜査の手法、犯罪者の心理、死刑制度の是非、そして取材者のモラル―。様々な物議をかもした、衝撃のノンフィクション・ノヴェル。
会計処理的に社会に説明されていくのみだろう。
カポーティが、殺人者2名と被害者4名、それから事件に関連する村人
すべてに、綿密なインタビューと調査をした結果、浮き彫りになったのは
殺人者2名の悲惨な生い立ちと、どん詰まりの救いがたい人生。
それから被害者4名の、期待と慈愛に満ちた人生だった。
殺人者のスミス曰く
あの善良な一家は、いままで自分に冷たくしてきたとあるが、この言葉が「冷血」の本質をあらわす言葉と
世間の尻ぬぐいをするめぐり合せだったんだ。
言える気がする。
1950-60年代の古き良きアメリカ。
アメリカが世界で最も輝いていた時代の影で
救いがたい人生に対するルサンチマン的怨念の極みが
殺人者スミスの独白を通して、語られていく。
彼らが、金持ちや成功者になろうとして
もがけばもがくほど、金も成功も信用も
どんどん遠ざかっていく。
その焦りからか、彼らはどこまでも必死に
そして間違った方向で、金を稼ごうと画策し行動する。
その一環として、クラッター一家の強盗殺人があったのであり
同時にまるで強盗殺人などなかったかのように
その後も繰り返し、詐欺や窃盗などの犯罪を繰り返していく。
この「自由と成功とお金を求めて、前に進み続ける」
という、アメリカンドリームの体現方法を
完全に間違った方向に突き進み、自他含め奈落の底に落ちていったのが
クラッター一家惨殺事件であり、この「冷血」という作品が
描く奈落だと感じた。
ちょうど、この事件が発生した1959年というのは古き良きアメリカ時代の
終わりにさしかかる事件である。
この後アメリカは、下記の体験を経ていくことになる。
1961年にキューバ危機で世界大戦の恐怖に直面し
1963年にケネディ大統領が暗殺され
1964年にはジョンソン大統領がベトナム戦争を開始し
1965年には北爆と地上戦の拡大により、戦争は泥沼化し
1973年のパリ平和協定にいたるまで戦争は膠着化した。
事件のあった1959年を境に、アメリカは古き良き時代から
ベトナムという、暗い暗雲に満たされた時代へと移行していった。
スミスたちが追ったアメリカンドリームは
奈落の底に突っ走る行動の末、眼前に広がる絶望的な現実を前に
夢の終わりと、行き詰まった人生へと帰結した。
まるで、1960年を境にアメリカンドリームの終焉と
ベトナム戦争という奈落の底へ突っ走っていく
アメリカをあらわしているかのように。
スミスの現実はその結果
「今まで自分に冷たくしてきた世間に対する尻ぬぐい」として
善良で誰もがうらやむ成功者であるクラッター一家の惨殺へと
つながっていった。
そしてその惨殺事件すら、カタルシスでも人生の有終でもなく
何事もなかったかのように、絶望的な現実を彼らは走り続ける。
まるで「絞首刑」という奈落の底へ行き着くまで走り続けるのだ。
ここに、ベトナム戦争を終え、湾岸戦争を終え、911を超えて
イラク戦争をはじめて、なお奈落へと進むアメリカがかぶさってみえる。
カポーティの描いた『冷血』という作品は
ひとつに、無関係な善良な一家を躊躇することなく惨殺した犯人の「冷血」を描き
ふたつに、アメリカンドリームという幻想のもと、奈落の底を生きゆく者に
賭ければ賭けるほど奈落の底にいきつかせるような、無思慮な希望を与えたあげく
残酷な現実へと帰着させてしまう、時代の「冷血」を感じた。
そして、みっつ目は死刑囚の人生の深淵をえぐりだし
インタビューの継続のため、死刑の延長を望み
ベストセラーの誕生のため、死刑の実行を望んだ
カポーティ自身の「冷血」が感じられる。
カポーティ自身の「冷血」は映画『カポーティ』によく描かれていた。
小澤征爾・広中平祐 対談 『やわらかな心をもつ』
小澤征爾は、小澤征爾音楽塾やサイトウキネンフェスティバルなどで
日本のクラシック界の若手を育てていて、その教育の精神は
小澤征爾の師匠、斉藤秀雄から受け継がれたものだ。
この対談集の小澤征爾はまだ若い。今の小澤征爾を見聞きしているので
例えば「お金が欲しい。日本で家を買えるくらいのお金が欲しい」とか
発言したり、子供のことを溺愛する姿が、なぜかおもしろい。
そして、この1977年当時の小澤征爾は、指揮者として登り調子でいるわけで
後進や若手の教育に関して、まだ実際に行動していない。
音楽家の教育にまだ着手していないだけあって
対談の中でしきりに出てくる師匠・斉藤秀雄の教育精神を
あるかたちで、後の世に伝えなければならないことを
節々で語っている。
小澤征爾の中で、まざまざと蘇る斉藤秀雄先生による、教育の恩恵。
そのすばらしさを、後の音楽家に伝えなければならないのだが
指揮者の仕事と家族の生活で、多忙を極めているために
具体的に何を起こそうか、まだ固まっていない段階の対談である。
小澤征爾が教育という形で、後の音楽家に残した、多大な功績を考えると
この対談を読むのはとてもおもしろい。
いくつか、とても勉強になる部分を引用してみる。
この対談集を読んで、一番感銘を受けたのがこの「嫉妬を殺す」という点。
確かに、お金や名声って、自分が追いかければ追いかけるほど
どんどん遠ざかっていくものだと感じる。
仮にそれを得たとしても、無限に競争し続けなければならなくなる。
そんなことをしなくても、お金や名誉は後からついてくるし
そうしてついてきたお金や名誉は、たくさんの仲間に支えられたものだから
多くの人をよりお金持ちや成功者にすることができるのかもしれない。
小澤征爾は、クラシックという華やかで成功失敗の落差が激しい世界で
しかも、自分が売れない時期に、これを体現していたことがすごいと思った。
これを読めただけでも本当に良かったと思う。良い言葉だ。
当時の小澤征爾の小さい子供のことをさしての対談であるが
同時に、小澤征爾がこの後、斉藤秀雄の後を継ぎ、若手の育成に従事することを考えると
最後の一文「親になったとき、初めて評価する」という言葉がとても重い。
教育とは、未来への投資であり、時に回収不可能な投資を行いつつも
その中から、流れを変える決定打を芽吹かせ、回収するという作業だと思う。
日本のクラシック界の若手を育てていて、その教育の精神は
小澤征爾の師匠、斉藤秀雄から受け継がれたものだ。
この対談集の小澤征爾はまだ若い。今の小澤征爾を見聞きしているので
例えば「お金が欲しい。日本で家を買えるくらいのお金が欲しい」とか
発言したり、子供のことを溺愛する姿が、なぜかおもしろい。
そして、この1977年当時の小澤征爾は、指揮者として登り調子でいるわけで
後進や若手の教育に関して、まだ実際に行動していない。
音楽家の教育にまだ着手していないだけあって
対談の中でしきりに出てくる師匠・斉藤秀雄の教育精神を
あるかたちで、後の世に伝えなければならないことを
節々で語っている。
小澤征爾の中で、まざまざと蘇る斉藤秀雄先生による、教育の恩恵。
そのすばらしさを、後の音楽家に伝えなければならないのだが
指揮者の仕事と家族の生活で、多忙を極めているために
具体的に何を起こそうか、まだ固まっていない段階の対談である。
小澤征爾が教育という形で、後の音楽家に残した、多大な功績を考えると
この対談を読むのはとてもおもしろい。
いくつか、とても勉強になる部分を引用してみる。
第1章 P55 ジェラシーを殺す
その時ぼくのおやじはね、要するにアレは人間の一番の敵だって言うの。
今でも良く覚えているけど、ジェラシーっていうの、嫉妬心ていうのかね。
それは人間にとっていちばん害になるって言うわけ。
で、ぼくは親父に言われて結局わかって、得をしたのは、これはもう
嫉妬心を殺さなきゃあもうとても生きていられないと思ったことなの。
とにかく嫉妬心を殺そうと思った。その時は殺せなかったと思うんだけどね
ほんとうには。でもその嫉妬心を殺すために努力したことが、あとになって
とってもいいことになった。得をしたと思うね。
この15年ぐらいの間で、僕らの間でね、そう言う具合に心の中で
嫉妬心と闘った経験がもてずにいつも優等生とか、
いつも天才でやってた人はね
今では仕事はいっぱいあるわけよ、僕らの仲間で指揮者で売れてる人は。
そういう人でも嫉妬で悩むんだよね。
なぜかというと、今頃になってそんな時間があるはずないんだから
ほんとはそうでしょう。
どこからでも世界中のニュースがはいってくる。
そうすると誰々がどこそこで何をやったとか言うことが気になっちゃうわけね。
それは見ててね、気の毒だなと思う。
僕はうんと楽なの。もうあのとき親父からもそう言われたし、その時苦しんだおかげで
まぁわかってた。その時にはどのくらいわかったかどうかわかんないけれども
今にして思えば、それが、ジェラシーがないだけで、どのくらい気が楽になったか
わからないし、どのくらい友達が増えたかわかんないし、楽しい思いもずいぶんしたから。
嫉妬心というか競争心っていうの。
この対談集を読んで、一番感銘を受けたのがこの「嫉妬を殺す」という点。
確かに、お金や名声って、自分が追いかければ追いかけるほど
どんどん遠ざかっていくものだと感じる。
仮にそれを得たとしても、無限に競争し続けなければならなくなる。
そんなことをしなくても、お金や名誉は後からついてくるし
そうしてついてきたお金や名誉は、たくさんの仲間に支えられたものだから
多くの人をよりお金持ちや成功者にすることができるのかもしれない。
小澤征爾は、クラシックという華やかで成功失敗の落差が激しい世界で
しかも、自分が売れない時期に、これを体現していたことがすごいと思った。
これを読めただけでも本当に良かったと思う。良い言葉だ。
第3章 P226 親と子の愛情
子供は生まれたときから、自己成長の機能を備えていて、
本能的にあるものを取り入れて成長して、自然に独立しちゃうわけよ。
小さいときには手がかかるというけど、時てゃ手をかけるという喜びとか、
勝手に親が考え出した義務感を満たすためにとか、
そのために子供を利用しているわけさ。
たとえば子供に愛情を与えるというけど、
子供は、愛情なしでも生物として成長するわけだ。
実は、親が愛情を与える喜びをとっているわけだ。
愛情を与えて、子供がいい子に育っていくのを喜んでいるのは親だからね。
子供は自然の生命力で、自分では無意識のうちに育っているわけだから、
親があんなにまでしてやったと思うほど、親を評価しないわけだ。
子供の時にはね。子供が大人になって、
ついでに親になったとき、初めて評価する。
当時の小澤征爾の小さい子供のことをさしての対談であるが
同時に、小澤征爾がこの後、斉藤秀雄の後を継ぎ、若手の育成に従事することを考えると
最後の一文「親になったとき、初めて評価する」という言葉がとても重い。
第4章 P254 斉藤秀雄先生
教育っていうのは、碁でいう布石みたいなものでね、いい布石をやっても、
それが効果が出てくるのはだいぶ先の話ですね。
捨て石って言葉があるでしょう。ポンと石をおいて、
こいつは下手につかうと、処置なしなんですし、
あるいは全然、無益無害かもしれないわけですね。
ところが発展したある段階で、猛烈にこいつがきいてくることもあるんですよ。
つまり一つの石のために、勝負が決まることもあるんです。
要するに人生の一つ一つの課程で、いい布石、
又は捨て石をしてやるということが、教育者、
おとなのつとめなのでしょうね。
教育とは、未来への投資であり、時に回収不可能な投資を行いつつも
その中から、流れを変える決定打を芽吹かせ、回収するという作業だと思う。



